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2012年11月19日 (月)

エヴァンゲリオン劇場版 Q 感想

まずはネタバレしない程度の感想。
エヴァ劇場版、見に行くなら少なくとも前回の「破」は見てから行った方がいいかも…
前回までの流れを思い出さないまま見に行ってしまって、「えええええ?前回どうだったんだっけ?!全然思い出せないーーー!!」っとなるので
できれば復習していった方がいいと思います…
何故かというと復習の意味が全くないから。
つまりストーリーは連続性のある「続き」からは始まってない。
無防備に見始めると、「あ、あれっ?見ればちょっとは思い出すだろうと思ってたのに、ちっとも全くゼンゼン思い出せないーーー(汗」と、無駄に脳内検索のためのアクセスが増えるからです。サーチしても無駄無駄無駄ァァ!!という展開で始まってます。
思いだそうと混乱しないで安心して見るためにも、「この状況は前回の終わりと断絶してるっぽいなぁ」と判断できるために復習しておくとよかった、というのが私の反省です。
続きはネタバレ入りますので観てない方は観てきてからお読み下さい(^-^
--ここからネタバレありですよ~--
見終わって印象的だったのはミサト達の乗ってた機体の姿。
あれは…トンボだ!十字っていうより。
見てた私に伝わってきた見えない訴えはトンボすなわち秋津島たる日本であると見ました。
そもそもゼーレとか、石板の立って囲んだ未来的ストーンヘンジのようなアレって、人類以上の人類の支配者みたいな位置づけじゃないですか。
それに従っているネルフって、支配されながら支配してる組織って感じで。
なんとなくですが、戦後に上層を外国だか連合国だかどこの国とも特定できず目にも見えないどこかで支配されている日本のイメージとか、さらに拡大して、そのように正体のわからない意志によって支配されている世界だとか、そういう印象とカブっていたので、
あのトンボに乗ったミサト達の立場が、世界の中における日本の立ち位置になってる/なっていくだろう/なりたいと望む者が多い のようないずれかの集合意識が現れてきているようにも見えました。
彼らは…ゲリラというか、ネルフだったのにネルフのやり方に反旗を翻しているっぽい。
一方、ゼーレの意志そのもののにネルフでも、ゼーレの意志を忠実に実行していく組織であるはずの中枢で、自分の目的のためにその力を利用しながら、自分とユイの計画のために碇ゲンドウ一厘の裏切りがある。
ゼーレの子供であったカヲルは、そこでリリンもまた意志を持っていたこと、そのためにゼーレを利用していてゼーレへ黙って計画していたこと、裏切りを抱えていたことに気付く。
月からやってきた全知のようなカヲルの、初めての動揺に、こちらまで動揺します。
裏切りの多重構造、反旗はネストの深いほうから…より小さな単位から「反転」は始まる。それが、こたびの”順序”なのだ、というメッセージが隠れてます。
裏切っていく者は裏切られていく。今回はミサト達もまた、シンジという個に裏切られている。
個人が小さな団体を裏切る。小さな団体は大きな団体を裏切る。大きな団体がより上層の支配者を裏切る。
裏切るという言葉は、いかにも悪のようだけれど、構造だけ見れば、善も悪もなく、ただ
反転の、反転の、反転が起こる。細かい世界からそれは始まっていくよ、と。
それは始まっているよ。
どうやら現実世界でも太陽の磁気の極もまず半分が反転した模様。
全体を貫き一本だった軸が、真ん中からへし折れたように、中央で同じ極を向き合わせている。
これまでの流れに逆らって反転した勢いがある新しい逆の磁界のほうが勝てば、旧の向きを持っていた本来の半分も、いずれ反転するだろう。今は中央が斥力によって磁界の穴になっているのかもしれない。
**
レイの、「綾波じゃない」も良かった。
命令に従うだけの木偶であっても、短い間に蓄積した情報間に正反対のものがあると、疑問を持つ、と。
「お前は綾波レイである」「私を綾波レイじゃないという者がいる」
「どういうことだろう」
「つまり、私には、求められている”綾波レイ"像がある…それに合わせないと、”綾波レイ”をやれという命令が遂行できない。」
「すでに”綾波レイ”像を持ったものに、”綾波レイ”とはなにか、たずねよう」
「こういうとき、綾波レイならどうするの」
これは、シンジの心の病気が移ってしまった例だ。精神病や心の型は、結晶が周囲をその型に結晶させていくように、伝播し、伝染する。
レイにとってはその病気にかかり病人が世界を見る感覚を知ることはそれが人間理解への第一歩となる。
人類とは、病気にかかることで同じ病気の仲間に歓迎され祝福され称えられさえする隔離病棟のなかで繁殖する種族のようなものだね。
シンジが苦しんでいるのは、その物の見方、考え方のせいだ。シンジは病んでいて自分が不幸であるのもわかっていて、それなのに自分を不幸にさせているものの見方考え方に気付かないどころか、周囲にまでそれを拡大し支配しようとする。
うーん…作品と関係ない方向で考えさせられた。’これ’はシンジ本人なのか?むしろ、その型自体に、おのれの複製欲求があるのではないのかと、ふと思った。シンジそのものとは別の、そこに救った精神の型そのものが、実は独立した「フォーム生命体」の存在までも薄ら見せてくるようだ。それはシトと関係あるのか無いのか。
アスカは少なくともシンジのその型に対しては拒絶反応を示す。
綾波レイが綾波レイらしくするにはどうすればいいか? バカな質問だ。どうだっていいじゃないか…どう振る舞おうと、今振る舞ったおのれこそは綾波レイなのだから、どんな突飛なふるまいもそれが新しい綾波レイなのに。今初めて発見した「意外な綾波レイ」の側面でいいじゃないか。それに楽しさを覚える者や、不快を感ずる者が、あるだろう・・・受け取り方は自由だが、「そんなの綾波じゃない」といわれる筋合いなど無いのだ。本来は。
病んでいない者は、いつでも柔軟に、また発見した新しいその人の顔を、受け入れようとするだろう。好ましければ近寄ってきて、都合が悪ければ去るだろう。それを繰り返すたびに、柔軟で受け入れ度の高いものが残り、自分を都合が悪いと思うものは遠ざかって、生きていくほどに自分には敵よりも仲間と距離を近づけていくのに。
自分を受け入れない者に受け入れて欲しいと、「どうすれば必要とされるか」と発想していることが、シンジの不幸の元凶なのに。
そうやっている限り、いつだって自分が必要とされ続けられるかどうか心配で、どうあるべきかが心配で、アンテナとセンサーの部分だけで気を遣い果たして、どっと疲れてしまうだけなのに。
それでもシンジは言うだろう、「こんな、まともに人間の生きていけない環境で、人に必要とされずにどうやって生き延びていけばいいんだ」と。
でも実は彼の病は治る兆しを見せている…そのために、一旦、個人としての言動は悪化しているように見える。けれど、一時的に通らねばならない悪だ。
綾波を助けよう、という意志を、自分の意志で動く機会をはじめて得たこと。それが覚醒だった。
周囲は、覚醒を閉じ込めようとする。命まで人質にとって、「何もするな」と脅す。
けれど、ふたたび自分の意志で、綾波の声に従って出て行った。
最後には、留めるカヲルのアドバイスも聞かずに、「やりを抜く」事をやり抜くという自分の決意に従った。
一度でも覚醒した者は、もう、始まっている。
どれも、自分勝手で、周りに迷惑をかけて、世界崩壊を生み出したけれど、それは、まだ覚醒が始まったばかりで、うまく制御できていないからだ。一時的なものだし、一時的なものだったと後で言えるように、大人にならねばならない。
大人になるとは、時に世界を滅ぼすことになろうとも自分の意志を貫く事を恐れないことだ。
周りじゅうが、「高い能力を持った、素直に言うことを聞く子供」でいろと圧力をかけてくるだろう。
そのために善悪だの、迷惑をかけるなだの、調和だの、本来は尊い教えを、ゆがめた形で吹き込むだろう。
それが、支配者だ。
そして、絶妙にすり替えられている、マジックのようなその嘘、その種に気付くこと…
シンジは、自分の利己のために、動いた訳じゃない。結果として迷惑はかけた。けれど、「綾波を助けたかった」それは、正しい衝動だ。
ただ、やり方、やる時期、やる人数、結果の収拾をどうつけるかまで、采配できずに、思いだけで突っ走ってしまったけれど、大事な人を救いたいというその思い自体は、決して麻痺させちゃいけない。
何もするなと閉じ込め、自分を活かせない環境から飛び出て、来てくれと誘われた新天地の可能性へ向かうこと…別に間違っていない。
「それを手にすれば、世界を救える」という槍を、抜こうとすること…その意志の強さも、素晴らしいことだ。
覚醒したシンジは、明らかに、変わってきた。だけどまだ、悪い癖が抜けていないことが、綾波に自分の中の過去の綾波像を押しつけていることで見える。過去の、自分のイメージの中の彼女の継続の上にしか、相手を認められない…それがそのまま鏡のように、覚醒していなかった頃の自分のイメージを継続させ、そのイメージの自分の型へと自分を閉じ込める。
でも、自分の意志を、麻痺させるべきじゃない。ふたたび眠らせるべきじゃない。
自分が眠って居る方が、周りとの衝突も軋轢も少ない…周囲はシンジを眠らせておこうとするだろう。赤ん坊に安らかに眠って居て欲しい母親のように、勝手にチョコマカ動き回るなと抱き上げて引き戻し、興味を持った危険物をとりあげるだろう。
ミサトたちは母なる者だ。守りたい、安全にしておいてあげたい、じっと大人しくさえしていれば私達がどうにかする、あなたがヘタに手を出すと邪魔だと。子供を抱えたブッダは、秋津島の姿をした母なる日本。
子供ならば、大人ぶるべきではない。でももしも、もう子供じゃないと思うのならば、シンジとともに、エヴァに乗るしかない。
一度も失敗しないというわけに行かないだろう。調和を乱し、世界を崩壊させるだろう。何度も。けれど、自分が自分にとってカッコ良く見えるようにとか、他人にカッコ良く映るようにとか、他人よりも自分が得できるようにとか、そんなことのためじゃなく、大切な者を救うため、守るため、癒すために、調和せよという圧力と闘ってでも意志を貫くことが、男としてシンジの開き始めた「新しい世界」の粋だろうと思う。
そして、私自身にも、言い聞かせ続けたいことでもある。
--あーアスカと新キャラ眼鏡ッ子のこと書けてないやー疲れたので、これまで。
眼鏡ッ子はいいね。あの境地までたどり着ければ人生いいんだけどな~;
あ、14年というのは、1999から2013年ってことかな。
終末があって、新世紀がある。2012はマヤ歴の大晦日的な切り替わりでアセンションブームだったし。

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